写真日和

私が撮ってきた写真を載せるブログです。

【FUJIPET35】【フィルム写真】谷中ぎんざ

1957年(昭和32年)に、富士フィルムが自社のフィルムを広めるため、フィルムカメラ初心者向けの作った、ブローニーフィルム(120mmフィルム)使用の簡易フィルムカメラであるFUJIPETの135mmフィルム版として、1959年(昭和34年)に発売されたカメラがFUJIPET35で撮った谷中ぎんざの光景です

【FUJIPET35】【フィルム写真】谷中ぎんざ

谷中ぎんざ

谷中ぎんざの説明を書きます。
正式名称は谷中銀座商店街振興組合です。
JR日暮里駅西口・地下鉄千代田線千駄木駅道灌山ロ)から歩いていき、夕焼けだんだんを降りるとある商店街です。
大体徒歩3分で着きます。
場所的には、台東区の西北端に位置し、台東区谷中3丁目と荒川区西日暮里3丁目にまたがる近隣型商店街です。

谷中ぎんざに向かう途中にある夕焼けだんだんについて少し書きます。
夕焼けだんだんとは、東京都荒川区西日暮里三丁目10番・13番と14番の間にある、日暮里駅方面から谷中銀座に下る階段(坂)です。
幅は4.4メートル、長さは15メートルの階段で、傾斜は15度で緩やかで、高低差は4メートル、段数は36段あります。この階段に夕方座って、谷中銀座方向を見ると、綺麗な夕焼けを見ることが出来ます。
そのことから、この階段は一般応募で夕焼けだんだんという名称になりました。
なおここにはたくさんの猫がいることから、夕焼けにゃんにゃんなんて呼ばれていたことがあります。

さて谷中ぎんざですが、規模は小さく、基本的には谷中に住む人が買い物に来る商店街です。
ただ最近では東京の下町散歩が出来ることから観光スポットとなった谷根千谷中・根津・千駄木の総称)の名物として、多くの観光客が来る商店街でもあります。
なおこの谷根千が観光スポット化した理由は、1984年10月15日から2009年8月20日まで観光された地域雑誌の「谷根千」(正式名称は「地域雑誌 谷中・根津・千駄木」で、その後全国各地で誕生した同種の雑誌の見本となりました)が、谷中・根津・千駄木について書き続けたことにより、多くの人の注目を集めさせることになったことが大きいと言われています。

ここの楽しみは、お肉屋さんなどで売られている谷中メンチなどに代表されるお惣菜の食べ歩きです。
谷中ぎんざには酒屋さんがあり、ここでアルコールを買って、飲みながら食べるのが非常に楽しかったりします。
酒屋さんには椅子が準備されている所もあり、一種の飲み屋さんみたいになっています。

また谷中は元々猫がたくさんいることから、谷中ぎんざには猫のグッズなどがたくさん販売されています。
これを見て買っていくのも楽しみの1つになっています。
普通の商店街なんですが、観光スポットとして東京の下町ムードを楽しめ、食べ歩きが出来て、猫のグッズも買うことが出来る、そんな商店街が谷中ぎんざです。

今回の写真は、FUJIPET35で撮った谷中ぎんざの光景の写真を載せます。
使用フィルムは富士フイルムのSUPER PREMIUM400です。
撮影日は2013年2019年3月頃です。

 

FUJIPET35で撮った谷中ぎんざの光景

【FUJIPET35】【フィルム写真】谷中ぎんざ
【FUJIPET35】【フィルム写真】谷中ぎんざ
【FUJIPET35】【フィルム写真】谷中ぎんざ
【FUJIPET35】【フィルム写真】谷中ぎんざ
【FUJIPET35】【フィルム写真】谷中ぎんざ
【FUJIPET35】【フィルム写真】谷中ぎんざ
【FUJIPET35】【フィルム写真】谷中ぎんざ
【FUJIPET35】【フィルム写真】谷中ぎんざ
【FUJIPET35】【フィルム写真】谷中ぎんざ
【FUJIPET35】【フィルム写真】谷中ぎんざ

FUJIPET35

1957年(昭和32年)に、富士フィルムが自社のフィルムを広めるため、フィルムカメラ初心者向けの作った、ブローニーフィルム(120mmフィルム)使用の簡易フィルムカメラであるFUJIPETの135mmフィルム版として、1959年(昭和34年)に発売されたカメラがFUJIPET 35です。

電池がいらない完全な機械式フルマニュアルカメラです。FUJIPETがシャッタースピードが1/50秒とバルブのみ、絞りが解放がF11、F16、F22だったのに対し、FUJIPET 35はシャッタースピードがバルブ、25、50、100、200となり、絞りも解放がF3.5、最少絞りがF22となりました。レンズもF11の単玉から、3群3枚構成のフジナー45mmF3.5となり、写りが向上しました。そのためFUJIPET 35は、富士フィルムが自社のフィルムを広めるため、フィルムカメラ初心者向けの作ったとは言っても、FUJIPETより、本格的なカメラとなっています。

さてこのFUJIPET 35ですが、使い方にかなり癖があります。その説明を書きます。

フィルムを入れる時は最初にカメラボディの底面にあるフィルム感度インジケーターをまわして「OPEN」に合わせます。

FUJIPET35

フィルム感度インジケーターの横にあるツメを引き、裏ブタを開けます。

FUJIPET35

フィルム巻き戻しノブ(「REWIND」の表示のノブ)を上に引き上げて、フィルム室にパトローネをセット、スプールの切り込みにフィルムの先端を差し込み、ギアのツメにパーフォレーションがしっかりと噛み合っているかを確認して裏ブタを閉めて、数回空撮りして、フィルムカウンターを1にします。

FUJIPET35
FUJIPET35
FUJIPET35
FUJIPET35

レンズ下にあるレバーで絞りを決めます。

FUJIPET35

その後にレンズ先端にあるピント合わせのリング、シャッタースピード合わせのリングを回して適正露出にします。

FUJIPET35

それで撮影が出来るわけですが、シャッターを切る方が癖があります。

最初に右側の右側の三角レバーでシャッターセットします。

FUJIPET35

左側のレバーを下側に押すことでシャッターが切れます。

FUJIPET35

その後、巻き上げ解除ボタンを右方向へ動かし巻き上げ解除にして、右側の巻き上げノブ(「WIND」の表示のノブ)を矢印の方向に回します。

FUJIPET35
FUJIPET35

これを繰り返していきます。この手順をしっかり守ります。このカメラですが多重露光防止機能がないため、それを守らないと多重露光してしまうからです。

撮り終えたら、巻き上げ解除ボタンを右に押したままで、フィルム巻き戻しノブ(「REWIND」の表示のノブ)を矢印の方向に巻きます。

FUJIPET35
FUJIPET35

【FUJIPET】【フィルム写真】谷中

1957年(昭和32年)に、富士フィルムが自社のフィルム販売拡大をするため、今までカメラを使ったことがない人にでも簡単に扱えるように発売された、ブローニー判フィルム使用の低価格カメラのFUJIPETで撮った谷中の光景です

【FUJIPET】【フィルム写真】谷中

【FUJIPET】【フィルム写真】谷中

谷中は、東京都台東区の町名です。
「寺町」と呼ばれるように、寺院が集中しでいる地域です。
江戸時代、上野に寛永寺が建てられ、その付近である谷中にはその子院が建てられ、その後は爆福の政策により慶安年間に神田付近から多くの寺院が移転、明暦の大火の後に勝日した寺院も移転し、寺院が多くなった事に伴い参詣客が増加したことにより江戸の庶民の行楽地として発展していきました。

明治維新以降は、上野戦争では寺院が焼失したことがありましたが、関東大震災第二次世界大戦では被害が奇跡的に少なかったため町並み・建造物が残されている地域として、近所の千駄木、根津(谷中、千駄木、根津は谷根千と言われている)と共に東京に観光しに来た人に人気を集める観光スポットになりました。
江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜の墓がある谷中霊園(谷中墓地とも呼ばれます)があり、歴史好きな人が慶喜の墓に行って説明を受けている光景を見かけることもあります。
また非常に猫が多い場所として有名で、その猫の写真を撮りに来るアマプロ問わずカメラマンが多く訪れる街でもあります。

谷中で最も人気があるのが谷中銀座です。
正式名称は谷中銀座商店街振興組合です。
JR日暮里駅西口・地下鉄千代田線千駄木駅道灌山ロ)から歩いていき、夕焼けだんだんを降りるとある商店街です。
大体徒歩3分で着きます。
場所的には、台東区の西北端に位置し、台東区谷中3丁目と荒川区西日暮里3丁目にまたがる近隣型商店街です。
東京の下町の商店街の雰囲気が流れている商店街で、そのため、谷中に訪れた多くの人は、これを味わいたいとここに訪れています。

今日のブログは、東京都台東区谷中付近の写真を載せます。
使用カメラはFUJIPET、使用フィルムはLomography Color Negative 400 120 filmです。
撮影時期は、2013年4月頃です

FUJIPET

FUJIPETで撮った谷中の光景

【FUJIPET】【フィルム写真】谷中
【FUJIPET】【フィルム写真】谷中
【FUJIPET】【フィルム写真】谷中
【FUJIPET】【フィルム写真】谷中
【FUJIPET】【フィルム写真】谷中

FUJIPET

FUJIPET(フジペット)の説明をします。
1957年(昭和32年)に、富士フィルムが自社のフィルム販売拡大をするため、今までカメラを使ったことがない人にでも簡単に扱えるように発売された、ブローニー判フィルム使用の低価格カメラです。 発売されると爆発的に売れたようで「当時のカメラ販売記録を更新するという快挙を成し遂げた」とカメラ関連の本に書かれています。以下の写真はFUJIPETです。

FUJIPET(フジペット)
FUJIPET(フジペット)
FUJIPET(フジペット)

焦点距離75mmの単玉F11レンズ搭載したカメラで、シャッタースピードは1/50秒とバルブの二種類、絞りはF11(開放)、F16、F22の三種類です。
フィルムの入れ方はHOLGAと同じですが、シャッターの切り方はシャッターシャージをした後に、シャッターボタンを押すというSMENA 8Mに似たものです。
マニュアルフォーカスカメラの操作を最低限に抑えた感じで、マニュアルフォーカスに慣れている人なら(個人的にはマニュアルフォーカスカメラの方が簡単だと思っているのですが、最近はデジタルで自動補正するオートフォーカスカメラに慣れた人が多いので、この人らには操作自体が分からないかもしれません)非常に写真が撮りやすいのが特徴です。
このカメラを設計したのは、ヤシカY16を始めとして数々のカメラ設計を手掛けた甲南カメラ研究所長・西村雅貫氏だけに、低価格という制限がある中で、多くのカメラ初心者でも扱えるように丁寧に作ったのが分かるカメラになっています。
そしてデザインが素晴らしいのも特徴です。低価格のカメラとは思えないカッコイイデザインをしています。
ボディに金属も使われているので頑丈です(HOLGAみたいに貧弱ではありません)。
このカメラのデザインをしたのは、東京芸術大学・田中芳郎氏です。
初めて購入するカメラはカッコイイのがいいに決まっています。
持っていてカッコイイとみんなに思われる、そんなデザインになっています。
この二点からこのカメラは、戦後国産カメラ史に残る傑作と言う風に呼ばれていたりします。

写りですが、撮って引き伸ばしをした写真を見ると、初心者向けの最低限に機能を絞った昔のマニュアルフォーカスカメラではありますが、良く写るなって思いました(一部黒つぶれした写真もありますが…それは僕の設定ミスです)。
正直ここまで写るとは思いませんでした。シャッタースピードは事実上固定されていますが(このカメラでバルブは使用しないと思います)、絞りは3つ選択できるので、露出計で適正露出を調べればしっかりした写真を撮れます。
見た目はHOLGAに似てますが、周辺光量落ちも起きませんし、それとは雲泥の差がある素晴らしいカメラでした。さすが天下の富士フイルム、低価格のカメラでも変なカメラは作らないんだなってことが分かりました。

このカメラ、今の概念からすると、誰にでも撮れる低価格カメラというコンセプトなのでトイカメラの部類に入るんでしょうが、HOLGAなどに比べると、キレイな写真が撮れます。
HOLGAとFUJIPETは、高価であるカメラを安く購入出来るようにするために生まれた点では共通してますが、HOLGAが安くするために部品などを安物にしたりしたため欠陥だらけのカメラになってしまったのに対して、FUJIPETはカメラ入門者のための作られてたため、カメラの素晴らしさを知ってもらうように、写りやデザインはしっかり作られています。
HOLGAとFUJIPETを比べるのが変な話かも知れません(HOLGAに分が悪いのは当然です)。
トイカメラとしてではなく、素敵な中判のクラシックカメラとして使用したカメラです。

【FUJIPET】【フィルム写真】日本橋

1957年(昭和32年)に、富士フィルムが自社のフィルム販売拡大をするため、今までカメラを使ったことがない人にでも簡単に扱えるように発売された、ブローニー判フィルム使用の低価格カメラのFUJIPETで撮った日本橋の光景です

【FUJIPET】【フィルム写真】日本橋

日本橋とは

日本橋は、1603年に徳川家康の全国道路網整備計画に際し、架けられたで橋のことです。
現在の日本橋は19代目にあたります。1999年には国の重要文化財に指定されています。

現在の日本橋を中心とした地域は、徳川家康が幕府を開いてから、早くに町地として開発されました。
その後、五街道(家康が全国支配のために作った江戸と各地を結ぶ以下の5つの街道)の基点となり、以降、現三越の前身である越後屋をはじめとする大店が集まり、付近には金座や銀座が置かれるなどもあり、江戸の中で最も賑わう場所となりました。
1868年(明治元年)、江戸府内は東京府となり、維新の混乱により寂れた場所になりましたが、ガス灯や鉄道馬車が敷設されるなどがあったことで、江戸時代の頃のように賑わうようになりました。
1896年(明治29年)には本両替町にあった金座の跡に日本銀行が建てられ、大店の越後屋白木屋が百貨店となり、1908年(明治41年)には越後屋こと三越が洋館の店舗になったことで洋風建築が多くなり、近代的な街となっていきます。
1923年(大正12年)の関東大震災、1945年(昭和20年)の空襲により被害を受けますが、終戦後には復興し現在に至っています。

日本橋というと、お江戸の情緒が流れている、そんな感じを受ける人もいるかもしれません。実際は、日本橋付近には日本銀行本店や東京証券取引所がある日本を代表する金融街であり、老舗の百貨店を含む近代的な商業施設多くある所であり、また大企業などが密集している所であり、そのためか江戸情緒の雰囲気は余り感じさせません。
観光地のノリもありません。
その辺が何だか寂しい感じがしますが、東京のど真ん中である以上、それは仕方がありません。
江戸の中で最も賑わう場所だった日本橋は、今は日本の企業が最も賑わう、そんな街です。

今回の写真は、そんな日本橋周辺の写真を載せます。
使用カメラはFUJIPET、使用フィルムは使用フィルムは、Lomography Color Negative 400 120です。
撮影日は2013年4月22日です。

FUJIPET

FUJIPETで撮った日本橋の光景

【FUJIPET】【フィルム写真】日本橋
【FUJIPET】【フィルム写真】日本橋
【FUJIPET】【フィルム写真】日本橋
【FUJIPET】【フィルム写真】日本橋
【FUJIPET】【フィルム写真】日本橋

FUJIPET

FUJIPET(フジペット)の説明をします。
1957年(昭和32年)に、富士フィルムが自社のフィルム販売拡大をするため、今までカメラを使ったことがない人にでも簡単に扱えるように発売された、ブローニー判フィルム使用の低価格カメラです。 発売されると爆発的に売れたようで「当時のカメラ販売記録を更新するという快挙を成し遂げた」とカメラ関連の本に書かれています。以下の写真はFUJIPETです。

FUJIPET(フジペット)
FUJIPET(フジペット)
FUJIPET(フジペット)

焦点距離75mmの単玉F11レンズ搭載したカメラで、シャッタースピードは1/50秒とバルブの二種類、絞りはF11(開放)、F16、F22の三種類です。
フィルムの入れ方はHOLGAと同じですが、シャッターの切り方はシャッターシャージをした後に、シャッターボタンを押すというSMENA 8Mに似たものです。
マニュアルフォーカスカメラの操作を最低限に抑えた感じで、マニュアルフォーカスに慣れている人なら(個人的にはマニュアルフォーカスカメラの方が簡単だと思っているのですが、最近はデジタルで自動補正するオートフォーカスカメラに慣れた人が多いので、この人らには操作自体が分からないかもしれません)非常に写真が撮りやすいのが特徴です。
このカメラを設計したのは、ヤシカY16を始めとして数々のカメラ設計を手掛けた甲南カメラ研究所長・西村雅貫氏だけに、低価格という制限がある中で、多くのカメラ初心者でも扱えるように丁寧に作ったのが分かるカメラになっています。
そしてデザインが素晴らしいのも特徴です。低価格のカメラとは思えないカッコイイデザインをしています。
ボディに金属も使われているので頑丈です(HOLGAみたいに貧弱ではありません)。
このカメラのデザインをしたのは、東京芸術大学・田中芳郎氏です。
初めて購入するカメラはカッコイイのがいいに決まっています。
持っていてカッコイイとみんなに思われる、そんなデザインになっています。
この二点からこのカメラは、戦後国産カメラ史に残る傑作と言う風に呼ばれていたりします。

写りですが、撮って引き伸ばしをした写真を見ると、初心者向けの最低限に機能を絞った昔のマニュアルフォーカスカメラではありますが、良く写るなって思いました(一部黒つぶれした写真もありますが…それは僕の設定ミスです)。
正直ここまで写るとは思いませんでした。シャッタースピードは事実上固定されていますが(このカメラでバルブは使用しないと思います)、絞りは3つ選択できるので、露出計で適正露出を調べればしっかりした写真を撮れます。
見た目はHOLGAに似てますが、周辺光量落ちも起きませんし、それとは雲泥の差がある素晴らしいカメラでした。さすが天下の富士フイルム、低価格のカメラでも変なカメラは作らないんだなってことが分かりました。

このカメラ、今の概念からすると、誰にでも撮れる低価格カメラというコンセプトなのでトイカメラの部類に入るんでしょうが、HOLGAなどに比べると、キレイな写真が撮れます。
HOLGAとFUJIPETは、高価であるカメラを安く購入出来るようにするために生まれた点では共通してますが、HOLGAが安くするために部品などを安物にしたりしたため欠陥だらけのカメラになってしまったのに対して、FUJIPETはカメラ入門者のための作られてたため、カメラの素晴らしさを知ってもらうように、写りやデザインはしっかり作られています。
HOLGAとFUJIPETを比べるのが変な話かも知れません(HOLGAに分が悪いのは当然です)。
トイカメラとしてではなく、素敵な中判のクラシックカメラとして使用したカメラです。

【FUJIPET】【フィルム写真】初の日本郵便の商業施設 KITTE

1957年(昭和32年)に、富士フィルムが自社のフィルム販売拡大をするため、今までカメラを使ったことがない人にでも簡単に扱えるように発売された、ブローニー判フィルム使用の低価格カメラのFUJIPETで撮った初の日本郵便の商業施設 KITTEの光景です

【FUJIPET】【フィルム写真】初の日本郵便の商業施設 KITTE

日本郵便の商業施設 KITTEとは?

KITTE(キッテ)は2013年3月21日にオープンした、旧東京中央郵便局局舎を一部保存、再生し建設された『JPタワー』内の、地下1階地上6階、98の店舗から成る商業施設です。
場所は、JR東京駅の丸の内南口前にあります。かなりオシャレな感じのする施設で、東京丸の内の新スポットとしてKITTEは、今後も人気を集めそうです。
なおこの名称は、「切手」と「来て」の2つの言葉から作られたそうです。

 

このKITTEの目玉は、なんといっても6階にある地上庭園、KITTEガーデンです。
ここに行くと、1914(大正3)年の創建時の壮麗な姿に戻された東京駅丸の内駅舎を見下ろすことが出来ます。
実はここに行ったのは買い物とかではなく、見下ろした光景を写真に撮りたかったからです。
そう思ってきた方も多くいらっしゃっていて、コンデジスマホを含む携帯電話のカメラ、そして本格的な人は一眼レフカメラを持って写真を撮っていました。
買い物以外の人…写真好きの人にとっても最高のスポットになりそうです。

 

このKITTEを見て、昔、ここは東京中央郵便局で、出し忘れていた郵便物を出したりしたことを思い出しました。
僕にとって未だ郵便局のイメージが強く(といっても、この施設内には郵便局も残されています)、それが商業施設になったことに対して不思議な感じがしました。
変わりゆく東京の1つの象徴なのではないか、そんなことを思いました。

 

今回の写真は、そんなKITTEの写真を載せます。
使用カメラはFUJIPET、使用フィルムは使用フィルムは、Lomography Color Negative 400 120です。撮影日は2013年4月後半です。

FUJIPET

FUJIPETで撮った初の日本郵便の商業施設 KITTEの光景

【FUJIPET】【フィルム写真】初の日本郵便の商業施設 KITTE
【FUJIPET】【フィルム写真】初の日本郵便の商業施設 KITTE
【FUJIPET】【フィルム写真】初の日本郵便の商業施設 KITTE

FUJIPET

FUJIPET(フジペット)の説明をします。
1957年(昭和32年)に、富士フィルムが自社のフィルム販売拡大をするため、今までカメラを使ったことがない人にでも簡単に扱えるように発売された、ブローニー判フィルム使用の低価格カメラです。 発売されると爆発的に売れたようで「当時のカメラ販売記録を更新するという快挙を成し遂げた」とカメラ関連の本に書かれています。以下の写真はFUJIPETです。

FUJIPET(フジペット)
FUJIPET(フジペット)
FUJIPET(フジペット)

焦点距離75mmの単玉F11レンズ搭載したカメラで、シャッタースピードは1/50秒とバルブの二種類、絞りはF11(開放)、F16、F22の三種類です。
フィルムの入れ方はHOLGAと同じですが、シャッターの切り方はシャッターシャージをした後に、シャッターボタンを押すというSMENA 8Mに似たものです。
マニュアルフォーカスカメラの操作を最低限に抑えた感じで、マニュアルフォーカスに慣れている人なら(個人的にはマニュアルフォーカスカメラの方が簡単だと思っているのですが、最近はデジタルで自動補正するオートフォーカスカメラに慣れた人が多いので、この人らには操作自体が分からないかもしれません)非常に写真が撮りやすいのが特徴です。
このカメラを設計したのは、ヤシカY16を始めとして数々のカメラ設計を手掛けた甲南カメラ研究所長・西村雅貫氏だけに、低価格という制限がある中で、多くのカメラ初心者でも扱えるように丁寧に作ったのが分かるカメラになっています。
そしてデザインが素晴らしいのも特徴です。低価格のカメラとは思えないカッコイイデザインをしています。
ボディに金属も使われているので頑丈です(HOLGAみたいに貧弱ではありません)。
このカメラのデザインをしたのは、東京芸術大学・田中芳郎氏です。
初めて購入するカメラはカッコイイのがいいに決まっています。
持っていてカッコイイとみんなに思われる、そんなデザインになっています。
この二点からこのカメラは、戦後国産カメラ史に残る傑作と言う風に呼ばれていたりします。

写りですが、撮って引き伸ばしをした写真を見ると、初心者向けの最低限に機能を絞った昔のマニュアルフォーカスカメラではありますが、良く写るなって思いました(一部黒つぶれした写真もありますが…それは僕の設定ミスです)。
正直ここまで写るとは思いませんでした。シャッタースピードは事実上固定されていますが(このカメラでバルブは使用しないと思います)、絞りは3つ選択できるので、露出計で適正露出を調べればしっかりした写真を撮れます。
見た目はHOLGAに似てますが、周辺光量落ちも起きませんし、それとは雲泥の差がある素晴らしいカメラでした。さすが天下の富士フイルム、低価格のカメラでも変なカメラは作らないんだなってことが分かりました。

このカメラ、今の概念からすると、誰にでも撮れる低価格カメラというコンセプトなのでトイカメラの部類に入るんでしょうが、HOLGAなどに比べると、キレイな写真が撮れます。
HOLGAとFUJIPETは、高価であるカメラを安く購入出来るようにするために生まれた点では共通してますが、HOLGAが安くするために部品などを安物にしたりしたため欠陥だらけのカメラになってしまったのに対して、FUJIPETはカメラ入門者のための作られてたため、カメラの素晴らしさを知ってもらうように、写りやデザインはしっかり作られています。
HOLGAとFUJIPETを比べるのが変な話かも知れません(HOLGAに分が悪いのは当然です)。
トイカメラとしてではなく、素敵な中判のクラシックカメラとして使用したカメラです。

【FUJIPET35】【フィルム写真】2019年に開催された「文京つつじまつり」

1957年(昭和32年)に、富士フィルムが自社のフィルムを広めるため、フィルムカメラ初心者向けの作った、ブローニーフィルム(120mmフィルム)使用の簡易フィルムカメラであるFUJIPETの135mmフィルム版として、1959年(昭和34年)に発売されたカメラがFUJIPET35で撮った2019年「文京つつじまつり」の光景です

【FUJIPET35】【フィルム写真】2019年に開催された「文京つつじまつり」

2019年に開催された「文京つつじまつり」

「文京つつじまつり」は、毎年4月から5月の1ヶ月間行われる文京花の五大まつりの一つで、この期間のみ、根津神社のつつじ苑が一般開放され、この時期に見頃を迎える約100種3,000株のつつじを見ることが出来ます。

2020年は、コロナウイルスの感染拡大により中止になりましたが、2021年は開催されました。

私は残念ながら行くことが出来ませんでした。

今年も中止になるんだろうと、思ったのです。

諸行事・露店等は全て中止となったそうですが、つつじ苑は4月4日(日)~4月25日(日)まで、密を避けるため入場規制が実施し、開苑となったそうです。

今回は、残念ながら2021年の「文京つつじまつり」の写真は録れませんでしたが、このブログを見てくださる方に「文京つつじまつり」の魅力を知ってほしいので、2019年に開催された 「文京つつじまつり」の写真を載せます。

使用カメラは、1959年6月に富士フイルムから発売されたフィルムカメラのFUJIPET35です。

FUJIPET35

使用フィルムは、富士フイルムのSUPER PREMIUM400です。

 

FUJIPET35で撮った2019年「文京つつじまつり」の光景

【FUJIPET35】【フィルム写真】2019年に開催された「文京つつじまつり」
【FUJIPET35】【フィルム写真】2019年に開催された「文京つつじまつり」
【FUJIPET35】【フィルム写真】2019年に開催された「文京つつじまつり」
【FUJIPET35】【フィルム写真】2019年に開催された「文京つつじまつり」
【FUJIPET35】【フィルム写真】2019年に開催された「文京つつじまつり」
【FUJIPET35】【フィルム写真】2019年に開催された「文京つつじまつり」
【FUJIPET35】【フィルム写真】2019年に開催された「文京つつじまつり」
【FUJIPET35】【フィルム写真】2019年に開催された「文京つつじまつり」
【FUJIPET35】【フィルム写真】2019年に開催された「文京つつじまつり」
【FUJIPET35】【フィルム写真】2019年に開催された「文京つつじまつり」
【FUJIPET35】【フィルム写真】2019年に開催された「文京つつじまつり」
【FUJIPET35】【フィルム写真】2019年に開催された「文京つつじまつり」
【FUJIPET35】【フィルム写真】2019年に開催された「文京つつじまつり」

FUJIPET35

1957年(昭和32年)に、富士フィルムが自社のフィルムを広めるため、フィルムカメラ初心者向けの作った、ブローニーフィルム(120mmフィルム)使用の簡易フィルムカメラであるFUJIPETの135mmフィルム版として、1959年(昭和34年)に発売されたカメラがFUJIPET 35です。

電池がいらない完全な機械式フルマニュアルカメラです。FUJIPETがシャッタースピードが1/50秒とバルブのみ、絞りが解放がF11、F16、F22だったのに対し、FUJIPET 35はシャッタースピードがバルブ、25、50、100、200となり、絞りも解放がF3.5、最少絞りがF22となりました。レンズもF11の単玉から、3群3枚構成のフジナー45mmF3.5となり、写りが向上しました。そのためFUJIPET 35は、富士フィルムが自社のフィルムを広めるため、フィルムカメラ初心者向けの作ったとは言っても、FUJIPETより、本格的なカメラとなっています。

さてこのFUJIPET 35ですが、使い方にかなり癖があります。その説明を書きます。

フィルムを入れる時は最初にカメラボディの底面にあるフィルム感度インジケーターをまわして「OPEN」に合わせます。

FUJIPET35

フィルム感度インジケーターの横にあるツメを引き、裏ブタを開けます。

FUJIPET35

フィルム巻き戻しノブ(「REWIND」の表示のノブ)を上に引き上げて、フィルム室にパトローネをセット、スプールの切り込みにフィルムの先端を差し込み、ギアのツメにパーフォレーションがしっかりと噛み合っているかを確認して裏ブタを閉めて、数回空撮りして、フィルムカウンターを1にします。

FUJIPET35
FUJIPET35
FUJIPET35
FUJIPET35

レンズ下にあるレバーで絞りを決めます。

FUJIPET35

その後にレンズ先端にあるピント合わせのリング、シャッタースピード合わせのリングを回して適正露出にします。

FUJIPET35

それで撮影が出来るわけですが、シャッターを切る方が癖があります。

最初に右側の右側の三角レバーでシャッターセットします。

FUJIPET35

左側のレバーを下側に押すことでシャッターが切れます。

FUJIPET35

その後、巻き上げ解除ボタンを右方向へ動かし巻き上げ解除にして、右側の巻き上げノブ(「WIND」の表示のノブ)を矢印の方向に回します。

FUJIPET35
FUJIPET35

これを繰り返していきます。この手順をしっかり守ります。このカメラですが多重露光防止機能がないため、それを守らないと多重露光してしまうからです。

撮り終えたら、巻き上げ解除ボタンを右に押したままで、フィルム巻き戻しノブ(「REWIND」の表示のノブ)を矢印の方向に巻きます。

FUJIPET35
FUJIPET35

【FUJIPET】【フィルム写真】日暮里駅東口にある繊維問屋街付近

1957年(昭和32年)に、富士フィルムが自社のフィルム販売拡大をするため、今までカメラを使ったことがない人にでも簡単に扱えるように発売された、ブローニー判フィルム使用の低価格カメラのFUJIPETで撮った日暮里駅東口にある繊維問屋街付近の光景です

【FUJIPET】【フィルム写真】日暮里駅東口にある繊維問屋街付近

日暮里駅東口にある繊維問屋街とは

日暮里は、東京都荒川区の東日暮里と西日暮里の総称です。
昔は日暮里町と1つの街でだった場所で、現在は、町工場、商店街、住宅が混在して密集する地域となっています。
駅は日暮里駅(JR東日本東京都交通局)とJR西日暮里駅JR東日本東京都交通局東京メトロ)、日暮里という名称は付いていませんが、東京都荒川区西日暮里一丁目にあるJR三河島駅JR東日本)、東京都荒川区西日暮里六丁目にある新三河島駅京成電鉄)があります。全体的に東京の下町の雰囲気を残している所です。

日暮里駅の東口には、服地・織物、服飾用小物、既製服などを扱う繊維問屋街があります(70店舗ほどあるそうです)。
大正時代に、浅草方面で古繊維、栽落業を行っていた業者が、当時閑散としていたこの周辺に移動し、その後同業者が集まって出来た問屋街です。
昭和の日中戦争、太平洋戦争の頃になると、物資不足 により統制経済配給制)になったことで終戦まで営業はストップしましたが、その後に各業者が営業再開し、現在に至っています。
問屋街なのですが、一般向けに小売も行うお店もあり、値段がとても安いことから、主婦などが多くここにやって来ます。最近では、カジュアル物を扱う店もあることから、若者もここに来て買い物を楽しんでいます。

今回はこの日暮里の繊維問屋街付近の写真を載せます。
使用カメラはFUJIPET、使用フィルムはLomography Color Negative 400 120 filmです。
撮影時期は、2013年4月頃です。

FUJIPET

FUJIPETで撮った日暮里駅東口にある繊維問屋街の光景

【FUJIPET】【フィルム写真】日暮里駅東口にある繊維問屋街付近
【FUJIPET】【フィルム写真】日暮里駅東口にある繊維問屋街付近
【FUJIPET】【フィルム写真】日暮里駅東口にある繊維問屋街付近
【FUJIPET】【フィルム写真】日暮里駅東口にある繊維問屋街付近
【FUJIPET】【フィルム写真】日暮里駅東口にある繊維問屋街付近
【FUJIPET】【フィルム写真】日暮里駅東口にある繊維問屋街付近

FUJIPET

FUJIPET(フジペット)の説明をします。
1957年(昭和32年)に、富士フィルムが自社のフィルム販売拡大をするため、今までカメラを使ったことがない人にでも簡単に扱えるように発売された、ブローニー判フィルム使用の低価格カメラです。 発売されると爆発的に売れたようで「当時のカメラ販売記録を更新するという快挙を成し遂げた」とカメラ関連の本に書かれています。以下の写真はFUJIPETです。

FUJIPET
FUJIPET
FUJIPET

焦点距離75mmの単玉F11レンズ搭載したカメラで、シャッタースピードは1/50秒とバルブの二種類、絞りはF11(開放)、F16、F22の三種類です。
フィルムの入れ方はHOLGAと同じですが、シャッターの切り方はシャッターシャージをした後に、シャッターボタンを押すというSMENA 8Mに似たものです。
マニュアルフォーカスカメラの操作を最低限に抑えた感じで、マニュアルフォーカスに慣れている人なら(個人的にはマニュアルフォーカスカメラの方が簡単だと思っているのですが、最近はデジタルで自動補正するオートフォーカスカメラに慣れた人が多いので、この人らには操作自体が分からないかもしれません)非常に写真が撮りやすいのが特徴です。
このカメラを設計したのは、ヤシカY16を始めとして数々のカメラ設計を手掛けた甲南カメラ研究所長・西村雅貫氏だけに、低価格という制限がある中で、多くのカメラ初心者でも扱えるように丁寧に作ったのが分かるカメラになっています。
そしてデザインが素晴らしいのも特徴です。低価格のカメラとは思えないカッコイイデザインをしています。
ボディに金属も使われているので頑丈です(HOLGAみたいに貧弱ではありません)。
このカメラのデザインをしたのは、東京芸術大学・田中芳郎氏です。
初めて購入するカメラはカッコイイのがいいに決まっています。
持っていてカッコイイとみんなに思われる、そんなデザインになっています。
この二点からこのカメラは、戦後国産カメラ史に残る傑作と言う風に呼ばれていたりします。

写りですが、撮って引き伸ばしをした写真を見ると、初心者向けの最低限に機能を絞った昔のマニュアルフォーカスカメラではありますが、良く写るなって思いました(一部黒つぶれした写真もありますが…それは僕の設定ミスです)。
正直ここまで写るとは思いませんでした。シャッタースピードは事実上固定されていますが(このカメラでバルブは使用しないと思います)、絞りは3つ選択できるので、露出計で適正露出を調べればしっかりした写真を撮れます。
見た目はHOLGAに似てますが、周辺光量落ちも起きませんし、それとは雲泥の差がある素晴らしいカメラでした。さすが天下の富士フイルム、低価格のカメラでも変なカメラは作らないんだなってことが分かりました。

このカメラ、今の概念からすると、誰にでも撮れる低価格カメラというコンセプトなのでトイカメラの部類に入るんでしょうが、HOLGAなどに比べると、キレイな写真が撮れます。
HOLGAとFUJIPETは、高価であるカメラを安く購入出来るようにするために生まれた点では共通してますが、HOLGAが安くするために部品などを安物にしたりしたため欠陥だらけのカメラになってしまったのに対して、FUJIPETはカメラ入門者のための作られてたため、カメラの素晴らしさを知ってもらうように、写りやデザインはしっかり作られています。
HOLGAとFUJIPETを比べるのが変な話かも知れません(HOLGAに分が悪いのは当然です)。
トイカメラとしてではなく、素敵な中判のクラシックカメラとして使用したカメラです。